複雑型子宮内膜異型増殖症から子宮体がんへ。私の場合。

入院、手術、術後の検査について書いてます(*゚ー゚)

#43 子宮体がん 手術後の検診 13回目 - 5年が経ちました! -

5月に手術後13回目の検査を受け、結果を聞いてきました。
 
- 2020年5月 - 

【CTと採血の検査】
検査はいつものようにCTと採血による腫瘍マーカーのチェックです。
CTは寝台に寝ていれば終わります。
採血は二度目で成功、無事終了しました。毎回毎回、看護師さん泣かせで本当に申し訳ないと思いつつ、血管が出やすい人が心底羨ましいです…。 
 
 
【結果】
今回も、腫瘍マーカー等々問題なく再発は見られませんでした!
 
- 雑感 -

先生から「5年が経ちましたね。」と言われ、続けて「以前は5年経つと検査は卒業だったけど、今はずっと続けることになっています。でも、次は1年後ね」と言われました。退院して2年目くらいまで検査は5年と言われていたので、この3年の間に方針が変わったようです。なので、検査はこれからも継続。私自身その方が安心です!
さて、今回は区切りもよいのでこの5年間のまとめ的なものを。

f:id:Rukka:20200531152826p:plain

私が病気になって失ったもの
- 日常生活と仕事 -
ひどい貧血状態で通勤するだけで精一杯。まともに仕事ができず、仕事内容はどんどん庶務作業へシフトしていきました。ただ、それもまともにこなせない。
私の貧血の症状は、ひたすら体が怠いというもので、めまいや気絶して倒れるといったことはなく、どこか痛いというわけでもない。そのせいか当時いらした産業医の先生に「外に出てはいけない」と言われても“自分は病気”という自覚が一切持てず「私に長期休暇を取らせようと思ってそんな風に言ってるんだ」とすら思っていた。経血で会社やお店の床を汚すほどだったのに。疑ってしまったこと、謝れるなら先生に謝りたい。
とにもかくにも自分はナマケモノになってしまったのだと考え、メンタル的なダメージも大きかった。  

手術でなくしたもの
子宮と卵巣と手術中に膀胱に傷がついたことで変わってしまった睡眠のリズム

手術して得たもの
貧血からの解放。貧血が改善され、ボーっとした状態が少しずつ改善され(もとよりぼんやりした性格ですが…)、手術してから一年ほど経って初めて自分は病気だったのだという自覚が持てました。
あとは、病名が「複雑型子宮内膜異形増殖症」から「子宮体がん」へと変わった診断書と生命保険会社から支払われた保険金でしょうか。

今現在苦労していること
手術する前の47年間、一度寝たら朝まで目が覚めない生活を送ってきたのに、手術後、一晩に二度、三度とトイレに行くために目が覚めるようになりました。
これに慣れるまで3年は掛かりました。起きているときは良いのですが、今も夜は2回は確実に目が覚めます。朝までぐっすり寝たいという気持ちは今もあるけれど、もう自分の体はもうそういう「仕様」になったのだと諦めがつきました。

それから元気になったことで以前のように皆と同じ仕事をしたいと思うようになりましたが、取り戻すのは大変! 希望を出して少しずつシフトしていますが、庶務作業は抱えたままです。自分の実力の問題が一番大きいとはいえ、今はこれが何より辛い。
病気の間、同僚に迷惑をかけ続け、それが何年か経って元気になりましたのでこれからは皆と同じように働きますと言っても、虫が良すぎるるのかもしれません。

 

  ふー。

 

元気になると欲が出る。
こうやって文字にしてみると今現在の自分を苦しめているは「欲」? いやいやこれは「やる気」でしょ? と、自問自答を繰り返しても答えが出せず、だから苦しいのかもしれません。

大きく考えればがんは抗がん剤が不要なほど初期で見つかり、再発もせず、元気でいられるだけで万々歳! がんが分かった当時は、冬季オリンピックが見たい、サッカーワールドカップが見たい、エヴァの新劇場版だけはどうしても観たいと考えていて、それも残すは公開間近のエヴァンゲリオン新劇場版最終作のみとなりました。

目先のことだけにとらわれず、何が自分にとって幸せなのかを考えなければ…。

楽しみを見つけながら、日々悩んだり、考えたりするのが日常であり、幸せなことだと思います。

とにかく来年の検査まで元気に頑張って、先生にも元気な顔を見せたい。
そういえば先生はほっそりスマートなのに、いつも特茶を飲んでいる。
来年、先生に会ったら効果はあるのか聞いてみようw