複雑型子宮内膜異型増殖症から子宮体がんへ。私の場合。

入院、手術、術後の検査について書いてます(*゚ー゚)

#23 卵巣摘出 手術 怖い  というキーワード検索から思うこと

アクセス解析を見ていたら「卵巣摘出 手術 怖い」というキーワードがありました。
自分も手術前は怖くて不安だったことを思うと、本当に切ない気持ちになります。
そこで今日は、ビビリな自分がとうやって気持ちを落ち着かせたのか、改めて書いてみます。

 

私の怖さ解消法は、大まかに二つ。

まず一つ目は、同じ病気や手術をされた方々のブログです。
病名で検索し、たくさん拝見しました。これはブログを始めるにあたって最初の日記に書いた内容と同じになりますが、

 

rukka.hatenablog.com

 

様々な体験を読む中で、だんだんと大丈夫かもしれない!と思えるようになったのです。理由は至ってシンプル。まず、麻酔を含め手術が怖いという気持ちの方はたくさんいて、私だけが怯えているわけではないということ。さらに、怖くて不安だった人はたくさんいるのに、「すごく痛かった!」という記載は目にしなかったことです。

痛みについては個人差があると思います。
それでも私の場合も麻酔や痛みどめが良く効いて、手術後の痛みはほとんどありませんでした。ただし、私は腰痛持ちなので術後からしばらく寝がえりを自由に打てないことは辛かったです。けれどこれはあくまで腰痛。手術に起因するものではありません。

   

それから二つ目。
私は担当の先生や麻酔科の先生に不安に思っていることは全部話し、「怖い怖い」と訴えまくりました。

  

rukka.hatenablog.com

  

入院してからは看護師んさんにも言っていたし、手術後もお腹にささっている管や傷口を止めている金具を外すのは痛いの?なんてことも、予定している何日も前から、看護師さんが変わるたび何度も聞いてました(゚m゚*)

先生や看護師さんには迷惑なことかもしれませんが、自分の中にため込まず、不安や気持ちを口にしていると、やさしく「大丈夫!」と言ってくれる看護師さんがいたり、冗談ぽく「どうかな~??」なんて笑いながら話してくれる看護師さんがいたりして、自然と落ち着いていった気がするのです。あと、私は血管が出にくい性質で点滴や採血にとても苦労しました。その時も、痛い時は我慢せず「痛い!!」って言ってましたw そして先生や看護師さんから「頑張って!」と言われながら、乗り切りました。

   

…こうやって改めて書いてみると、子供みたいで恥ずかしいですが、泣いたり、怒ったり、叫んだりしていたわけではないので許していただける範囲かと勝手に思っております(*ノノ)

そしてなにより、ストレスをため込んで不安定な状態でいるよりは自分はもちろん先生や看護師さんも楽なのではないか? 家族の心配を少しでも減らすことにつながるのではないか? と私は思えるのです。

 

…と、こんな感じです。

これから予定されている方の手術が上手くいき、笑顔で退院できることを心から祈るばかりです。

 

#22 子宮・卵巣摘出手術の記録を書き終えて(複雑型子宮内膜異形増殖症から子宮体がんへ)

2015年7月末現在、子宮・卵巣摘出手術を終えて2か月半程が経過しました。

複雑型子宮内膜異形増殖症で入院したはずが、まさか自分が子宮体がんの患者として退院するとは思いもしませんでした。

    

そんな私の近況は、

 *手術1か月後から乗り始めた自転車

   小さな段差で衝撃があるたびに内臓が揺れるような感覚でしたが、
   今は手術前と同じように乗っています。 

  

 *うつぶせ

   多少違和感はありますが、問題ありません。

 

 *お腹に付いてしまった手術の痕

   もう消えることは無いでしょう。退院した日の朝に傷が開いて
   しまったせいか、〝私の場合”はそこそこひどい有様です。
   が、幸い(?)私のスタイルと年齢でビキニになることは
   ありえないので誰に見せることもありません。
   それにこれは私の頑張った証。だから気にしない!
   旅行に行ったら温泉にも入ります(゚m゚*)
    ※手術の傷跡については個人差があると思います。

  

 *手術で傷がついてしまった膀胱

   トイレの感覚がなかなか戻らないのが辛いところではあります。
   これについてはこのまま様子見になるのか、泌尿器科への受診が
   必要になるか主治医のK先生の判断待ちです。

  

こんな感じです。
今後5年間定期的な検診(がんが再発していないかのチェック)を受ける必要はありますが、辛かった貧血の原因もなくなったことだし、あとは通勤に耐えられる体力が戻れば日常生活に戻ります。

  

けれど、これがもし…

今年4月の段階で手術を半年後、1年後と先延ばしにしていたら…
そもそも、貧血の担当医であるT病院のW先生が「婦人科に行かないなら、僕もこれ以上の治療はできない。婦人科へ行きなさい」と強く言ってくれなかったら…

子宮・卵巣の摘出に加え、抗がん剤治療も必要になっていたかもしれませんし、病院嫌いな私のこと、それどころではなかったかもしれません。

早期発見できたからこそ、今、この日記を書くことができるだと思います。

    

      

最後に、このブログの今後について。

当初、子宮・卵巣摘出手術の退院までを書いたら更新を止めようと考えていたのですが、細々と検診のことについても書いていくことにしました。
理由は、かつて自分が同じ病気の方が書かれたブログで手術等々の様子を知って心を落ち着かせたように、「私、これからどうなるのかな…」と不安に思っている方が偶然この日記を目にした際、ほんの少しでも何かの参考になるかもしれない…と考えなおしたからです。

これからは必要以上に気負わず、けれど決して検診を怠らず、普通に生活しながらそれらの経過を書いていきます。

そして、

 

  がんは早期発見できれば普通に生活できること

  検診の大切さ

 

を微力ながら伝えていきたいとも考えています。

  

改めまして、今後ともよろしくおねがいします(*゚д゚*)

 

#21 子宮、卵巣摘出手術のための入院 十日目(手術から九日目) 退院

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 【この日の主な予定】退院

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この日は退院予定日だったのですが、昨日から急におしっこの量が減ってしまったことで、退院できるかどうか先生の判断待ちでした。

そしてこの日の朝、入院以来初めてシャワーを浴びることができました! とてもさっぱりして本当に気持ちが良かったのですが、体を洗う際、傷口には十分気を付けたつもりが、病室に戻ると床にポタポタと血痕が!! 痛みがなかったのですぐにピンとは来なかったのですが、パジャマのお腹の部分を見ると血が滲んでいて看護師さんを呼ぶはめになってしまいました。診てもらうと「傷口が開いてる!」と先生を呼びにいってしまったので、これはもう今日は帰れないのかな(´_`。) と諦めかけていたら、

  

  ・38度以上の熱が続いたり、

  ・これ以上傷口がひらく

 

ようなら、病院にすぐ連絡すること!
という条件の元、退院できるようになりましたヽ('ヮ'*)ゝ

  

病院って退院が決まるともちろん無理をするほど急いで帰ってとは言われませんが、会計の方が用紙を持ってくるまでに片付けをしたり着替えたりと結構バタバタです。退院できるかわからなかったとはいえ、一応母親に来てもらっていたので用意を手伝ってもらい、看護師さんに傷口の保護の仕方を教えてもらったりしているうちに会計の用紙が届いて病院を出ることになりました。

ナースステーションで手首に巻いていた名前とバーコードが印刷されたテープを看護師さんに外してもらったら本当に病棟とはお別れです。

お世話になった看護師さんや居心地のよかった談話室ともお別れかと思うとちょっぴり寂くもありましたが、当たり前ですが家に帰れるのはやっぱり嬉しい!

できる限りのお礼を言って、病棟を後にしました。

  

ちなみに、着替えてほんの少しの荷物を持って歩くだけでどんどん消耗していくのが分かるくらい体力は落ちていました。70歳を過ぎた母に重い荷物を持ってもらうのは気が引けるのですが、重たいカバンなんて持てません。この後乗ったタクシーでも揺れたりブレーキを掛けるたびに体力は削られていき、家に着いたらもうヘトヘト…(ノ∀`)

そして家に帰って困ったのが、私、布団で寝ているのでベッド以上に寝起きが大変なこと! トイレが近くなっているような感覚があり、それが心配でこまめにトイレに行くようにしていたのもあって、そのたびに寝たり、起きたり…。とにかくしんどい! 本気で病院に戻りたいと思うほどでした(゚m゚*)

 

と…

こんな感じだった私の入院生活10日間。
たった10日の間に手術をして子宮と卵巣を取って、腰が痛いとウンウン唸り、点滴に苦しめられ、がん患者となって家に帰ってくるとは…、人生って何が起こるかわからないものだと本当に思います。

時間の無駄遣いばかりしている私の人生に多少なりとも、良い影響があれば良いのですが、喉元過ぎればなんとやらな性格まで治るかどうか…(ノ∀`)

退院する時にふと来年の桜はキレイに見えるだろうな、なんて考えたのですが、その頃には余程のことが無い限り通勤していると思うので、またキリキリと余裕のない生活を送り、え、もう咲いた? は?もう散ってる!? なんてことになってそうな気もします。

それでも日常に追われる毎日は幸せなのですよね(゚m゚*)

 

#20 【ガン告知】子宮、卵巣摘出手術のための入院 九日目後半(手術から八日目)

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 入院九日目の日記は昨日も書きましたが、
 今日は、退院診察時にあった【ガン告知】に
 
スポットを当てて書いてます。

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この日は回診後、残り半分の抜鈎(ばっこう/手術の傷口を止めているホッチキスの針のようなものを抜くこと)と退院診察を受ける予定になっていました。

   

9時過ぎに処置室に呼ばれベッドに横になり、お腹を出して抜鈎してもらっているとそこに担当医のK先生が。普通に朝の挨拶をしたあと、これから退院診察になりますとK先生が話し始めました。

こんな、お腹丸出しのまま話を聞くんだな~と思いながらボーっと聞いていると、

  

  「…で、取った子宮を調べたらガンが見つかりました。
   ただし取った卵巣と他の場所にも転移は見られないし、
   追加のガン治療は不要です。
   それから、傷がついてしまった膀胱なんだけど…」

  

え、何? この「あなた、風邪引いてましたよ?」みたいな軽い告知。
以前、病歴を綴った日記にも書きましたが、

 

rukka.hatenablog.com

 

私、うっかり「ガーン」って言いそうになって、どうにか直前で言葉を飲みこみました。しかも、先生、もう他の話してるし…(;゚∇゚)

  

この後、膀胱がどうした等々の話はよく覚えていないので、それなりに驚き、ショックを受けたのだと思います。が、退院診察が終わる頃には「…ってことは、今回、子宮内膜増殖症のために子宮と卵巣を取ったけど、ついでにガンも治ったってこと? それってラッキー(*゚ー゚)?」と考えるようになり、病室に戻ってからも放心したり落ち込むこともなく、普通にTVを見ながらお見舞いで頂いたお菓子を食べていたという…┐(´-`)┌

  

改めて書くのも変ですが、私は鈍感なんだと思います。

もしくはガンであったことが恐ろし過ぎて、深く考え込むことを無意識のうちに拒否しているのかもしれません。

いずれにしても、もう少し真摯な気持ちで病気を受け止めなければとも思うのですが、性分なので仕方がない。

 

一方で、今年に入ってから、同い年であるシャランQのつんく♂さんが大切な声をガンで失い、もう一人、同じ年に生まれ長年Eテレの「趣味の園芸」のキャスターとして活躍されていた柳生真吾さんがガンで命を落とされたことは私の中ではまだまだ記憶に新しく、お二人のことを考えると複雑な気持ちになります。 

また、これまで「複雑型子宮内膜異形増殖症」という病名で貰っていた診断書の病名が「子宮体がん」に変わったのを目にすると、自分ががん患者である現実を突きつけられているようで目を逸らしたくもなります。  

他に数年先のこと、例えば2020年に開催される東京オリンピックのことを考えると、楽しみ!という気持ちと、「そのころ自分はどうなっているのかな…」という気持ちがセットになってしまいました。2018年開催予定のサッカーワールドカップに至っては、今回、予選敗退したら次は6年後? そんなの絶対に困る…と応援も必死ですw

  

けれど…
この先、病気に限らず試練はいくらでもあるだろうし、それなら何かことが起きるまで、自分ができる範囲のことをしながら私はのんきにのんびり生きていきたいのです(*ノノ)

   

それから最後に、両親へのガンのことをどう話すかということが私にとっては一番の問題でした。
考えた末に現時点ではガンは体の中からとることができたのだし、このまま親には告げずにいようと決めていました。今後5年間、再発がなければそれこそ言う必要もないし、どうなるかわからないことで心配をかけ続けるなら、仮に再発したとしてその時に話せば十分だと思ったのです。こんな考えは間違っている、という気持ももちろんあります。

ただ、残念ながら(?)、私、ガン保険に入っていたため、保険会社から想定より多めの入金があったんです。保険は家族全員加入していますが、実際、保険金を受け取ったのは私が初めてだったせいか、母はどうしても明細を見たかったらしく、それでバレてしまったという…(ノ∀`)

なので正直に打ち明けたところ、驚きながらも冷静に受け止めてくれたみたいです。実際、両親が心の中でどんな風に考えているのか分かりません。が、「なってしまったものは、仕方ない」という考え方は母親譲りなのかもしれません(゚m゚*)

 

…というわけで、もちろん私の場合、ガン初期だったからというのもありますが、最近は本人に告知するのは当たり前という意識はあったものの、こうまであっさり言われるのか、ということはとても驚きでありました。

 

#19 子宮、卵巣摘出手術のための入院 九日目前半(手術から八日目)/クララの気持ち

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 【この日の主な予定】残り半分の抜鈎(ばっこう)
           
膀胱に入っているバルーンを抜く
           
退院診察/病理検査の結果報告

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深夜3時過ぎに寝たのに、目が覚めたらまだ4時でした。
膀胱に入っているバルーンを抜くことは、私にとってそのくらい嬉しいことだったんです。これはもう眠れないな…と思ったのですが、それからまたウトウトしたようで6時過ぎから始まる朝の検温で目が覚めました。

  

その後8時に朝ごはんを食べて、はやく看護師さん来ないかな~と思いながらも、少々気になっていたことが…。それは、昨日からおしっこがあまり出ていないこと。極端に水分を取らなかったというわけでもないのに。やってきた看護師さんもそのことを心配していましたが、先生の指示の元、まずはバルーンの管をハサミ型のクリップで止めます。これで次に尿意(といっても、バルーンを入れている間中、常に我慢しているような感覚ですが…)を感じたら看護師さんを呼び、バルーンを抜いてもらうと同時に普通におしっこをすることになります。

 

そしてこの後、処置室に呼ばれ残りの抜鈎をしながら退院診察となったのですが、このことについては次回の日記に書きます。

 

というわけで、抜鈎と退院診察を終えた10時過ぎ。
いよいよ出そう!ということで、看護師さんに来てもらってバルーンを抜いたのですが、膀胱炎にかかった時のような鈍痛が…。嫌だな(´・ω・`) と思ったけれど、

 

  手術で膀胱に傷がつき1cmとはいえ縫うことになったのだし、
  手術中はおしっこが出なくなってしまったとも聞いてる。
  術後7日間、普通にしていなかったんだから、すぐに前と同じ
  状態に戻るわけがない!

 

と気持ちを切り替えることはできました。

ただ、翌日の10時までどのくらいの量が出ているかを計ることになり、それはとてもとても面倒でした(ノ∀`)

  

それからバルーンを抜いてもらうと同時に奪われてしまったのが、入院中、看護師さんの次に私の心の支えだった(先生ごめんなさい(*ノノ))これ、

  

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点滴棒が回収されてしまったのです!!

手術が終わった翌朝から私の歩行を支え、点滴薬や痛みどめ、私に繋がった管の先にある袋等々いろんなものをぶら下げてくれていた点滴棒…。

なんていうか、もう本当は歩けるのに車いすがないと不安で仕方なかったアルプスの少女ハイジに出てくるクララのような気持でした┐(´-`)┌

  

点滴棒は本当にお役立ちアイテムだったなぁ…。
退院した今も、両手に荷物があると点滴棒があれば引っかけられるのに…と、恋しくなるほどなのでした(゚m゚*)