複雑型子宮内膜異型増殖症から子宮体がんへ。私の場合。

入院、手術、術後の検査について書いてます(*゚ー゚)

#08 子宮内膜掻把術後、子宮と卵巣摘出を決めるまで

子宮内膜掻把術を受け、退院してからちょうど一週間後に外来でK先生のお話(結果)を聞きにいきました。 

そして言われたのが、子宮内膜増殖症の中では良くないとされる複雑型で(細胞に?)異形あり、病名もただの「子宮内膜増殖症」から「複雑型子宮内膜異形増殖症」に変わったのでした。
これは掻把術でとった細胞を病理検査して分かったもので、今後定期的に検査、通院、出血量が増えたら子宮内膜掻把術を繰り返すか、それよりは「子宮と卵巣を取った方が良い」と言われてしまったのです。

  

この結果、ビビリな私にしては冷静に聞くことができたと思います。
というのも自分で病気のことを調べた際、なんとなくそうなんじゃないか…って予想していたから。悪い方へ考えがちな元々の性格もありますが、これまでの生理の状況を思うとどうしても良い方向には考えられなかったのです。

  

先生に「どうしますか? 今の状態なら、半年後とかもう少し様子をみてから手術ということもできます。ただ、すぐに手術なら4月に術前検査をしたばかりなのでそれらは省くことができますよ。」と言われ、心の中では(それならすぐに手術を受けよう)と決めてはいたけれど、決める前に両親に話をしたかったのでもう一週間時間をもらうことにしました。

   

家に帰って両親に話すと、やはり心配をかけることにはなってしまったけれど、放置しておくと良くない病気に発展すること(両親には「放置すると20~30%の確率で5年以内に子宮体ガンになる」とは言えませんでした)、そしてなにより掻把術を受けると決めた時と同じ「もう生理に振り回されるのは嫌!」という思いを話して理解してもらえたと思います。

年齢的にも私は46歳。秋には47歳になります。超高齢出産として子供を産める可能性は0ではないのかもしれませんが私は未婚で、これまで子供を産みたいと思ったことは一度もない。これも私があっさり決断できた理由の一つかもしれません。

  

その後の外来診察で手術は一週間後に決定し、その他の日程等々の説明を簡単に受け「私が執刀します。次に会うのは手術室ですね」と言われK先生と別れたのでした。

   

ちなみに、説明の際、私は4月の子宮内膜掻把術の入院の時に辛かったことについて先生に全部伝えました。

  

  ・まずはなんといってもおかずのお肉は無理!ということ(゚д゚)
  ・血栓防止のソックスが辛いこと
  ・膀胱に入れるバルーンが辛い
  ・術後から翌日までの腰痛で眠れ無い
  ・一日でも早く退院したい

  

等々。

自分でも我儘な患者…と呆れる部分もあるのですが、ご飯のことはお魚メインに、血栓防止のソックスは包帯をキツめに巻く、腰痛は薬、湿布を処方するし夜中に何度でも看護師さんを呼んで体勢を変えてもらっていいから! 退院は術後の経過が良ければ一日は短縮できます。 …と膀胱へのバルーン(尿道カテーテル)以外は対応してもらえたのです。なにより全部話を聞いてもらうことで気が楽になったし、バルーンだって手術の翌朝には抜くのだから、夕方から朝まで我慢すればいい話…。

    

  そう、この時はまだバルーンは翌朝まで我慢すれば…と、
  まさかあんなことになるとは思ってもいなかったのです…(゚m゚*)

    

…と、とにかく、疑問や希望は先生に伝えるとあっさり代案が提示してもらえることもあるので、ダメ元で話してみて良かったと思えたのでした。

少しでもストレスの少ない入院生活は自分のためでもあり、入院中「のんきそうね…」と母から言われたのですが周りにそう思ってもらえるならば、心配も減らせるのではないかと私は思うのです(*ノノ)