複雑型子宮内膜異型増殖症から子宮体がんへ。私の場合。

入院、手術、術後の検査について書いてます(*゚ー゚)

#21 子宮、卵巣摘出手術のための入院 十日目(手術から九日目) 退院

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 【この日の主な予定】退院

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この日は退院予定日だったのですが、昨日から急におしっこの量が減ってしまったことで、退院できるかどうか先生の判断待ちでした。

そしてこの日の朝、入院以来初めてシャワーを浴びることができました! とてもさっぱりして本当に気持ちが良かったのですが、体を洗う際、傷口には十分気を付けたつもりが、病室に戻ると床にポタポタと血痕が!! 痛みがなかったのですぐにピンとは来なかったのですが、パジャマのお腹の部分を見ると血が滲んでいて看護師さんを呼ぶはめになってしまいました。診てもらうと「傷口が開いてる!」と先生を呼びにいってしまったので、これはもう今日は帰れないのかな(´_`。) と諦めかけていたら、

  

  ・38度以上の熱が続いたり、

  ・これ以上傷口がひらく

 

ようなら、病院にすぐ連絡すること!
という条件の元、退院できるようになりましたヽ('ヮ'*)ゝ

  

病院って退院が決まるともちろん無理をするほど急いで帰ってとは言われませんが、会計の方が用紙を持ってくるまでに片付けをしたり着替えたりと結構バタバタです。退院できるかわからなかったとはいえ、一応母親に来てもらっていたので用意を手伝ってもらい、看護師さんに傷口の保護の仕方を教えてもらったりしているうちに会計の用紙が届いて病院を出ることになりました。

ナースステーションで手首に巻いていた名前とバーコードが印刷されたテープを看護師さんに外してもらったら本当に病棟とはお別れです。

お世話になった看護師さんや居心地のよかった談話室ともお別れかと思うとちょっぴり寂くもありましたが、当たり前ですが家に帰れるのはやっぱり嬉しい!

できる限りのお礼を言って、病棟を後にしました。

  

ちなみに、着替えてほんの少しの荷物を持って歩くだけでどんどん消耗していくのが分かるくらい体力は落ちていました。70歳を過ぎた母に重い荷物を持ってもらうのは気が引けるのですが、重たいカバンなんて持てません。この後乗ったタクシーでも揺れたりブレーキを掛けるたびに体力は削られていき、家に着いたらもうヘトヘト…(ノ∀`)

そして家に帰って困ったのが、私、布団で寝ているのでベッド以上に寝起きが大変なこと! トイレが近くなっているような感覚があり、それが心配でこまめにトイレに行くようにしていたのもあって、そのたびに寝たり、起きたり…。とにかくしんどい! 本気で病院に戻りたいと思うほどでした(゚m゚*)

 

と…

こんな感じだった私の入院生活10日間。
たった10日の間に手術をして子宮と卵巣を取って、腰が痛いとウンウン唸り、点滴に苦しめられ、がん患者となって家に帰ってくるとは…、人生って何が起こるかわからないものだと本当に思います。

時間の無駄遣いばかりしている私の人生に多少なりとも、良い影響があれば良いのですが、喉元過ぎればなんとやらな性格まで治るかどうか…(ノ∀`)

退院する時にふと来年の桜はキレイに見えるだろうな、なんて考えたのですが、その頃には余程のことが無い限り通勤していると思うので、またキリキリと余裕のない生活を送り、え、もう咲いた? は?もう散ってる!? なんてことになってそうな気もします。

それでも日常に追われる毎日は幸せなのですよね(゚m゚*)

 

#20 【ガン告知】子宮、卵巣摘出手術のための入院 九日目後半(手術から八日目)

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 入院九日目の日記は昨日も書きましたが、
 今日は、退院診察時にあった【ガン告知】に
 
スポットを当てて書いてます。

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この日は回診後、残り半分の抜鈎(ばっこう/手術の傷口を止めているホッチキスの針のようなものを抜くこと)と退院診察を受ける予定になっていました。

   

9時過ぎに処置室に呼ばれベッドに横になり、お腹を出して抜鈎してもらっているとそこに担当医のK先生が。普通に朝の挨拶をしたあと、これから退院診察になりますとK先生が話し始めました。

こんな、お腹丸出しのまま話を聞くんだな~と思いながらボーっと聞いていると、

  

  「…で、取った子宮を調べたらガンが見つかりました。
   ただし取った卵巣と他の場所にも転移は見られないし、
   追加のガン治療は不要です。
   それから、傷がついてしまった膀胱なんだけど…」

  

え、何? この「あなた、風邪引いてましたよ?」みたいな軽い告知。
以前、病歴を綴った日記にも書きましたが、

 

rukka.hatenablog.com

 

私、うっかり「ガーン」って言いそうになって、どうにか直前で言葉を飲みこみました。しかも、先生、もう他の話してるし…(;゚∇゚)

  

この後、膀胱がどうした等々の話はよく覚えていないので、それなりに驚き、ショックを受けたのだと思います。が、退院診察が終わる頃には「…ってことは、今回、子宮内膜増殖症のために子宮と卵巣を取ったけど、ついでにガンも治ったってこと? それってラッキー(*゚ー゚)?」と考えるようになり、病室に戻ってからも放心したり落ち込むこともなく、普通にTVを見ながらお見舞いで頂いたお菓子を食べていたという…┐(´-`)┌

  

改めて書くのも変ですが、私は鈍感なんだと思います。

もしくはガンであったことが恐ろし過ぎて、深く考え込むことを無意識のうちに拒否しているのかもしれません。

いずれにしても、もう少し真摯な気持ちで病気を受け止めなければとも思うのですが、性分なので仕方がない。

 

一方で、今年に入ってから、同い年であるシャランQのつんく♂さんが大切な声をガンで失い、もう一人、同じ年に生まれ長年Eテレの「趣味の園芸」のキャスターとして活躍されていた柳生真吾さんがガンで命を落とされたことは私の中ではまだまだ記憶に新しく、お二人のことを考えると複雑な気持ちになります。 

また、これまで「複雑型子宮内膜異形増殖症」という病名で貰っていた診断書の病名が「子宮体がん」に変わったのを目にすると、自分ががん患者である現実を突きつけられているようで目を逸らしたくもなります。  

他に数年先のこと、例えば2020年に開催される東京オリンピックのことを考えると、楽しみ!という気持ちと、「そのころ自分はどうなっているのかな…」という気持ちがセットになってしまいました。2018年開催予定のサッカーワールドカップに至っては、今回、予選敗退したら次は6年後? そんなの絶対に困る…と応援も必死ですw

  

けれど…
この先、病気に限らず試練はいくらでもあるだろうし、それなら何かことが起きるまで、自分ができる範囲のことをしながら私はのんきにのんびり生きていきたいのです(*ノノ)

   

それから最後に、両親へのガンのことをどう話すかということが私にとっては一番の問題でした。
考えた末に現時点ではガンは体の中からとることができたのだし、このまま親には告げずにいようと決めていました。今後5年間、再発がなければそれこそ言う必要もないし、どうなるかわからないことで心配をかけ続けるなら、仮に再発したとしてその時に話せば十分だと思ったのです。こんな考えは間違っている、という気持ももちろんあります。

ただ、残念ながら(?)、私、ガン保険に入っていたため、保険会社から想定より多めの入金があったんです。保険は家族全員加入していますが、実際、保険金を受け取ったのは私が初めてだったせいか、母はどうしても明細を見たかったらしく、それでバレてしまったという…(ノ∀`)

なので正直に打ち明けたところ、驚きながらも冷静に受け止めてくれたみたいです。実際、両親が心の中でどんな風に考えているのか分かりません。が、「なってしまったものは、仕方ない」という考え方は母親譲りなのかもしれません(゚m゚*)

 

…というわけで、もちろん私の場合、ガン初期だったからというのもありますが、最近は本人に告知するのは当たり前という意識はあったものの、こうまであっさり言われるのか、ということはとても驚きでありました。

 

#19 子宮、卵巣摘出手術のための入院 九日目前半(手術から八日目)/クララの気持ち

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 【この日の主な予定】残り半分の抜鈎(ばっこう)
           
膀胱に入っているバルーンを抜く
           
退院診察/病理検査の結果報告

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深夜3時過ぎに寝たのに、目が覚めたらまだ4時でした。
膀胱に入っているバルーンを抜くことは、私にとってそのくらい嬉しいことだったんです。これはもう眠れないな…と思ったのですが、それからまたウトウトしたようで6時過ぎから始まる朝の検温で目が覚めました。

  

その後8時に朝ごはんを食べて、はやく看護師さん来ないかな~と思いながらも、少々気になっていたことが…。それは、昨日からおしっこがあまり出ていないこと。極端に水分を取らなかったというわけでもないのに。やってきた看護師さんもそのことを心配していましたが、先生の指示の元、まずはバルーンの管をハサミ型のクリップで止めます。これで次に尿意(といっても、バルーンを入れている間中、常に我慢しているような感覚ですが…)を感じたら看護師さんを呼び、バルーンを抜いてもらうと同時に普通におしっこをすることになります。

 

そしてこの後、処置室に呼ばれ残りの抜鈎をしながら退院診察となったのですが、このことについては次回の日記に書きます。

 

というわけで、抜鈎と退院診察を終えた10時過ぎ。
いよいよ出そう!ということで、看護師さんに来てもらってバルーンを抜いたのですが、膀胱炎にかかった時のような鈍痛が…。嫌だな(´・ω・`) と思ったけれど、

 

  手術で膀胱に傷がつき1cmとはいえ縫うことになったのだし、
  手術中はおしっこが出なくなってしまったとも聞いてる。
  術後7日間、普通にしていなかったんだから、すぐに前と同じ
  状態に戻るわけがない!

 

と気持ちを切り替えることはできました。

ただ、翌日の10時までどのくらいの量が出ているかを計ることになり、それはとてもとても面倒でした(ノ∀`)

  

それからバルーンを抜いてもらうと同時に奪われてしまったのが、入院中、看護師さんの次に私の心の支えだった(先生ごめんなさい(*ノノ))これ、

  

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点滴棒が回収されてしまったのです!!

手術が終わった翌朝から私の歩行を支え、点滴薬や痛みどめ、私に繋がった管の先にある袋等々いろんなものをぶら下げてくれていた点滴棒…。

なんていうか、もう本当は歩けるのに車いすがないと不安で仕方なかったアルプスの少女ハイジに出てくるクララのような気持でした┐(´-`)┌

  

点滴棒は本当にお役立ちアイテムだったなぁ…。
退院した今も、両手に荷物があると点滴棒があれば引っかけられるのに…と、恋しくなるほどなのでした(゚m゚*)

 

#18 子宮、卵巣摘出手術のための入院 八日目(手術から七日目)

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 【この日の主な予定】半分だけ抜鈎(ばっこう)

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この日の明け方もまた以前に好きだった人の夢。昨日の夢と同じ人。
さすがに二日連続とか、自分で自分が嫌になる。昨日の日記にも書いたけど、もう好きじゃない。嫌いになったとかではなく、どこか知らない場所で幸せでいてあったらいいなと思っているだけ。普段思いだすことなんてないのに、こんな未練がましい夢は本当に嫌(´-д-`)

    

  

さてさて、この日は入院前から怯えていた抜鈎(ばっこう)の日。抜鈎というのは手術の傷口を止めているホッチキスの針のようなものを外すことで、この日と明日で半分ずつ取ることになっていました。

ちなみに、私の中のネガティブな世界では、ホッチキスの芯みたいなのと自分のお腹のお肉がガッツリ融合。なので引っ張ってもなかなか取れず激痛。ということになっております。

が…、昨日抜いた皮下ドレイン(お腹の管)同様、下腹の方がほんのちょっぴりチクッとした程度であとはほぼ無痛。二日連続で看護師さんに「大丈夫だったでしょ?w」と笑われることになったのでした(*ノノ) 本当に恥ずかしいのですが、ビビリなので仕方ない…w

 

この日もこれ以降は特に予定が無く、手術後初めて自分で髪の毛を洗ったり、顔を石鹸で洗ってみたり。

 

それから、「へー、こんなものも出るんだ!」と思ったのがお昼。

  

   

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なんと、おうどんでした! 私、ごはんしか出ないものだと思っていたのでこれは嬉しかったな(´∇`) しかもおやつ(原宿ドック)付き! 私、原宿ドックってあまり好きではないのですが、久しぶりに食べたらなんだか微妙な味が癖になるというか、思い出の味になりそうな…。退院してどこかで見かけたら買ってしまいそうですw

 

それからこの日はなんと、病院の1階にある売店に行ってもよいとお許しが!
売店以外の場所に行ってはダメ。すぐに戻ってね。帰ったら必ずナースに戻ったことを知らせてね!」と念を押されましたが、買い物の楽しいことったら!! 外来の時にも時々利用する本当に小さな売店が、こんなに楽しい場所だったなんて。この時のことを思い出すと、今でもウキウキした気分になるくらいです(゚m゚*) でも、この時何を買ったのか今一つ思いだせない。お茶と、お菓子かな? なんかパンも買った気がしてきた。食べ物ばっかり…(゚д゚)

  

と、そんなことはともかく、明日はいよいよ待ちに待った膀胱に入れているバルーンをとる日。少しずつ慣れてはくるものの、おしっこを我慢するような感覚はずっと続くのはとてもストレスでした。もう嬉しくて嬉しくて、この日の夜はほとんど眠れませんでした。

 

#17 子宮、卵巣摘出手術のための入院 七日目(手術から六日目)

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 【この日の主な予定】皮下ドレイン(おなかの管)を抜く

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この日の明け方、夢を見ました。
20代前半に振られてしまったけど、好きだった人が出てくる夢。楽しくもなく、つまらなくもなかったけど内容は覚えてない。そんな夢。彼以上に好きになる人と会うことはもう無いだろうと思うくらいだったけど、今はもう好きではないし、会いたいという気持ちも全くない。目が覚めた時「嫌だな、弱ってる時にこんな夢。」って思いました。

    

  

さて、そんな入院七日目。
朝の回診時、真っ先に「今日、お腹の管が抜けたらプリンを食べていいですか?」と先生に質問。「一個だけね!」と言われ喜んではいたのですが、この日は手術前からから先生や看護師さんに「お腹の管抜くの痛い? どのくらい痛い?」とぼやき続けてきた皮下ドレイン(お腹の管)を抜く予定があったのです…。回診後、さっそく処置室に呼ばれ診察台に横になりました。

 

先生から「(管を)止めている糸を着るので、ちょっとチクッとしますよ~」と言われ、「い、糸~!? 糸で止まってたの??」と私の恐怖心MAX!! するとちょこっと引っ張られる感じがあり、これから痛いのくるゾ~!! と踏ん張っていたら、もう終わってたっていう…。チクッっとした感じすらなく、「大丈夫だったでしょ?w」と先生からも看護師さんからも笑われてしまいました(*ノノ)

  

この日は他に予定はなく、またも看護師さんに髪の毛を洗ってもらいました。膀胱のバルーンが取れない限りシャワーを浴びられない私にとっては、本当にさっぱりと気持ちが良く、ただただ看護師さんに感謝です。

 

それから、日に日に元気になっていたのですが、ベッドから起き上がったり、横になったりするのはまだ大変で、この日はこんな…

   

  

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ナースコールボタンを床に落っことし、それを拾うためにベッドから起き上がろうとモゾモゾしていたら、上の絵のような状態に! 腹筋に力が入らないので、頭と足がそれぞれベッドの下に垂れ下った状態になるともうお手上げです。数分こんな状態のままどうにもならず、廊下に人の気配がしたら声を上げて看護師さんを呼んでもらうしかないなと諦めかけたら、ちょうど午後の検温で看護師さんが入ってきて救出してもらえましたw 絵心がないのでこれ以上掛けませんが、本当はもっとパンツ丸見え的なすごい格好で…┐(´-`)┌

 

そして、夜。
夕食と一緒に黄色い紙が配られ、何かと思ったら今後の献立表!! 朝と夜に関してはメニューが二種類あって、どちらか選択したのち所定の箱に出しておくよう書かれていました。

食べることには熱心なので、私は食後すぐに書きこみ、いそいそとベッドを抜け出して所定の箱を探したのですが、見つかりません! 通りかかった看護師さんに聞いたらまだ設置前だったらしく、どんな非常時でも食べることには迅速な自分に呆れたのでした…(゚m゚*)