複雑型子宮内膜異型増殖症から子宮体がんへ。私の場合。

入院、手術、術後の検査について書いてます(*゚ー゚)

#32 会社に戻って1年。復職に必要だと思うこととは…?

食欲の秋大到来( ゚д゚)

  ルッカです。

 

今月は検診月なので、また検査等々について結果が出たあとに日記を更新しようと思っていたのですが、気が付いたら今月で復職してちょうど一年。そこで、仕事への復職について振りかえり、考えてみることにしました。

 

【最初の三カ月(2015年10月~12月】

5月の半ばに手術を受け、復職したのは10月から。
術後1カ月で復職される方もいるそうですが、私は4カ月半お休みした後の復職となりました。長期間お休みしたのは、会社が「完全に復職できる体力がついてから」という方針だったことが理由です。私自身も真夏の復職は厳しいだろうと思っていたのでその点でも10月の復職は間違いではなかったと思っています。

また、復職プログラムとして1カ月前からは通勤練習(通勤時間に電車に乗り、図書館等で一日過ごし帰宅)もありましたし、会社に戻ってからも一週目は12時まで、二週目は15時まで、三週目からフルタイムと段階を踏み徐々に体を慣らしていくこともできました。
しかしこれだけ万全を期したつもりの復職も、片道2時間近く掛けて通勤し、フルタイムで働くことは容易なことではありませんでした。

 ・とにかく疲れる、
 ・家に帰ったら30分前後横にならなければご飯も食べられない、
 ・すぐに風邪を引く、
 ・手術で膀胱に傷が付いたからなのか、子宮と卵巣を取り膀胱の位置が
  変わったことが原因なのか、夜中に2,3度目が覚めてトイレに行かね
  ばならないことによる睡眠不足(手術前は、一度寝るとほぼ朝まで起き
  ない人でした)、
 ・頭痛、
 ・腹痛、etc.

一年で20日間支給される有給は、検査でお休みしなければならない日もあったとはいえ、たった三カ月で残り5日となりました。

明るく過ごしてはいたと思いますが、正直、もうフルタイムでは働けないと思いました。誰に責められることも、何か言われることもありませんでしたが「もうこれ以上、不安定な状態で通勤し迷惑を掛けるのは嫌だ」という思いでいっぱいでした。

 

【復職4か月目以降(2016年1月~ )】

と、こんな不安定な状態で迎えたお正月休み。
特に何もない極々普通の、6日間のお休みでした。けれどこのやや長めのお休みが何かのアクセントになったのか、体調が安定し始めたのです。
一体なぜ??と当時はとても不思議でしたが、今思えば子宮を取って約半年、不正出血もなくなり、鉄欠乏性貧血が改善し始めた時期だったのだと思います。

というわけで、ここから復職のお話とは離れてしまいますが貧血の怖さについて。
 


【鉄欠乏性貧血の症状等々、私の場合。】

私は、複雑型子宮内膜増殖症から子宮体がんに進行する過程での不正出血が原因で、鉄欠乏性貧血に悩まされました。これによりどんな症状が起こったか箇条書きにすると

 ・体がだるい
 ・どこへ行くのも何をするのも倍(もしくはそれ以上)の時間がかかる
 ・頭が働かない
 ・人が話がうわべだけしか理解できない
 ・上にあげた4つの理由により、自分のことだけで精一杯

とこんな感じです。急にバタッと倒れるとか、どこかが痛いということはありませんでした。

これらの症状は急にそうなったのではなく、徐々にです。
具体的な例をあげると、5分で着いていたはずのバス停に5分では着けなくなる。バスに乗り遅れるようになり、少しずつ早く家を出るようになる。そのうち何度も立ち止まって休憩しなければバス停に行けなくなり、10分前に出てもバスに間に合わないことがある。バス停ってこんなに遠かったっけ?といった感じ。

それから人の話がうわべだけしか理解できないというのは、もちろん何を言っているのかはわかるのですが、1言われたら1のことしかできない。疲労感がピークの時には1もできない。元々自分は気が利く人のように1言われたら10気づけるタイプではないけれど、鈍感な私だって健康な時は1言われたら3くらいのことは気づけていたのに…。

というのが、私の鉄欠乏性貧血です。体力だけでなく、気力にも影響が出る。でも、痛みがないせいか、これだけ弱っても病気の自覚が持てない。正常値を大きく下回るヘモグロビンやフェリチンの数字を実際に見ても、やっぱり自分は怠けてるだけじゃないのか?と思ってしまう。

貧血は珍しい病気ではないかもしれません。でも放置するのは危険です。体力的なことだけでなく物がきちんと考えられなくなり、メンタルにも影響がでる怖い病気だということが改善した今、よくわかります。


 
…と、貧血のことがだいぶ長くなってしまいましたが、お正月休みの頃から体力だけでなく思考力も戻り始め、少しずつ先のことを見据えながら仕事ができるようになってきました。すると周りを見る余裕も出てきて、そこでやっと気づいたのが同僚の優しさと頑張って仕事をしている姿でした。

 ・雪で電車が止まった日。家を出て2時間近く経ってもまだ地元から1駅しか
  進めず、くじけて「今日は休む」と電話をすると、課長が「待ってるから、
  家を出たなら何時になってもおいで」と言ってくれたこと、
 ・長期休暇前、出勤していてもボーっとして仕事が手につかない頃から変わら
  ず「大丈夫?」と声をかけてくれる元課長、
 ・そして長期休暇前からずっと中途半端な仕事しかできない私のことを
  長い目で見てくれ、戻ってからも色々と声をかけてくれた同僚 etc.

私の所属している課は、自分を含め8人ですが、実質7人でずっと忙しく頑張っていたことに心底気が付いたんです。
そこから自分の考えは変わったし、少し体調が悪いと思ってもとりあえず行ってみよう、本当に無理なら午後から帰ろう、それまでは皆みたいに頑張ってみようって思えるようになりました。なんて書くと立派なことみたいですが、普通のことがやっと普通にできるようになっただけなんですけどね(゚m゚*)

 

【復職に必要なことは…?】

これはあくまで私自身の考えですが、病後、復職が上手くいく、いかないについての私の結論は、

 復職する側が病気を治す、体力をつけるという
 当たり前のことに加え、
 周りの理解とサポートが復職後、体力が戻るまでの
 
もうしばらくの間必要で大切

という事です。

これは正直、健康な人に復職して尚負担をかけ続けることになります。健康な人だって疲れているし余裕がないことは、自分も健康だった時があるからわかっています。なので病人の側から体力が戻るまでのもうしばらくの間、理解して欲しいサポートして欲しいと書くことは大変に心苦しい。

けれど、一方で病気は治っても復職直後の人が体力的に辛いこともどうしようもないこと。
だから、復職した側の私は、自分でできることは責任を持つ。無理かもしれないと判断した時には早めに相談して仕事に後れを出さない。申し訳ないと思った時にも、ありがたいなと思った時にも感謝の気持ちを伝える。コミュニケーションを取りながら、元気になったらきちんと働くことが必要だと考えています。

このお返しは、縁起でもない書き方になってしまいますが、もし誰かが病気になってしまうことがあったとき、自分がありがたいと感じた経験を活かし、微力でもサポートすることができるはずです。

 

【今現在の私】

貧血は良くなっても(婦人科でのがん検診だけでなく、貧血の通院も続いています)、甲状腺機能低下症があるので疲れやすいので会社がある平日の夜はごろごろしながらTVを見るのがせいぜいで、好きなゲームや刺し子をする余力はほぼありません。

だから、不用意に無理はしない。
少し無理をした時には、その後おいしいものを食べて(食べ過ぎはだめだけど!)余暇の時間を削ってでも 休息を優先する。
そうすればまた働ける。自分自身が「私、働けてる!」と思えば、周りにも自然と大丈夫そうかなと思ってもらえる。

私は仕事人間ではありません。
でも今は、自分の体と相談しながら定年を迎えられたら、それはとても幸せなことだと思うようになりました(*゚ー゚) あ、刺し子も頑張りますけどw