複雑型子宮内膜異型増殖症から子宮体がんへ。私の場合。

入院、手術、術後の検査について書いてます(*゚ー゚)

#20 【ガン告知】子宮、卵巣摘出手術のための入院 九日目後半(手術から八日目)

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 入院九日目の日記は昨日も書きましたが、
 今日は、退院診察時にあった【ガン告知】に
 
スポットを当てて書いてます。

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この日は回診後、残り半分の抜鈎(ばっこう/手術の傷口を止めているホッチキスの針のようなものを抜くこと)と退院診察を受ける予定になっていました。

   

9時過ぎに処置室に呼ばれベッドに横になり、お腹を出して抜鈎してもらっているとそこに担当医のK先生が。普通に朝の挨拶をしたあと、これから退院診察になりますとK先生が話し始めました。

こんな、お腹丸出しのまま話を聞くんだな~と思いながらボーっと聞いていると、

  

  「…で、取った子宮を調べたらガンが見つかりました。
   ただし取った卵巣と他の場所にも転移は見られないし、
   追加のガン治療は不要です。
   それから、傷がついてしまった膀胱なんだけど…」

  

え、何? この「あなた、風邪引いてましたよ?」みたいな軽い告知。
以前、病歴を綴った日記にも書きましたが、

 

rukka.hatenablog.com

 

私、うっかり「ガーン」って言いそうになって、どうにか直前で言葉を飲みこみました。しかも、先生、もう他の話してるし…(;゚∇゚)

  

この後、膀胱がどうした等々の話はよく覚えていないので、それなりに驚き、ショックを受けたのだと思います。が、退院診察が終わる頃には「…ってことは、今回、子宮内膜増殖症のために子宮と卵巣を取ったけど、ついでにガンも治ったってこと? それってラッキー(*゚ー゚)?」と考えるようになり、病室に戻ってからも放心したり落ち込むこともなく、普通にTVを見ながらお見舞いで頂いたお菓子を食べていたという…┐(´-`)┌

  

改めて書くのも変ですが、私は鈍感なんだと思います。

もしくはガンであったことが恐ろし過ぎて、深く考え込むことを無意識のうちに拒否しているのかもしれません。

いずれにしても、もう少し真摯な気持ちで病気を受け止めなければとも思うのですが、性分なので仕方がない。

 

一方で、今年に入ってから、同い年であるシャランQのつんく♂さんが大切な声をガンで失い、もう一人、同じ年に生まれ長年Eテレの「趣味の園芸」のキャスターとして活躍されていた柳生真吾さんがガンで命を落とされたことは私の中ではまだまだ記憶に新しく、お二人のことを考えると複雑な気持ちになります。 

また、これまで「複雑型子宮内膜異形増殖症」という病名で貰っていた診断書の病名が「子宮体がん」に変わったのを目にすると、自分ががん患者である現実を突きつけられているようで目を逸らしたくもなります。  

他に数年先のこと、例えば2020年に開催される東京オリンピックのことを考えると、楽しみ!という気持ちと、「そのころ自分はどうなっているのかな…」という気持ちがセットになってしまいました。2018年開催予定のサッカーワールドカップに至っては、今回、予選敗退したら次は6年後? そんなの絶対に困る…と応援も必死ですw

  

けれど…
この先、病気に限らず試練はいくらでもあるだろうし、それなら何かことが起きるまで、自分ができる範囲のことをしながら私はのんきにのんびり生きていきたいのです(*ノノ)

   

それから最後に、両親へのガンのことをどう話すかということが私にとっては一番の問題でした。
考えた末に現時点ではガンは体の中からとることができたのだし、このまま親には告げずにいようと決めていました。今後5年間、再発がなければそれこそ言う必要もないし、どうなるかわからないことで心配をかけ続けるなら、仮に再発したとしてその時に話せば十分だと思ったのです。こんな考えは間違っている、という気持ももちろんあります。

ただ、残念ながら(?)、私、ガン保険に入っていたため、保険会社から想定より多めの入金があったんです。保険は家族全員加入していますが、実際、保険金を受け取ったのは私が初めてだったせいか、母はどうしても明細を見たかったらしく、それでバレてしまったという…(ノ∀`)

なので正直に打ち明けたところ、驚きながらも冷静に受け止めてくれたみたいです。実際、両親が心の中でどんな風に考えているのか分かりません。が、「なってしまったものは、仕方ない」という考え方は母親譲りなのかもしれません(゚m゚*)

 

…というわけで、もちろん私の場合、ガン初期だったからというのもありますが、最近は本人に告知するのは当たり前という意識はあったものの、こうまであっさり言われるのか、ということはとても驚きでありました。