複雑型子宮内膜異型増殖症から子宮体がんへ。私の場合。

入院、手術、術後の検査について書いてます(*゚ー゚)

急性腎盂腎炎 私の場合。 2回目(全3回)

【退院1回目】

退院した曜日は月曜日でした。どんな様子で退院したかというと、当たり前ですが本当に元気よく退院したのです。
退院しても抗生剤はしばらく続けなければならず、さすがに薬漬けで口の端は切れるし、舌はヒリヒリするしという状態でしたが、翌火曜日は会社をお休みし水曜日から復職しました。心配だったので午後はお休みして帰宅したのですが、その日の午後は微熱。私は元々熱が出やすい体質なので少し疲れただけと心配なんてまるでしていませんでした。が、翌日からは終日働こうと思っていたのですが、何となく嫌な予感がしてやはり午後お休みさせてもらったものの、帰宅するころにはすっかり様子がおかしくなり、また39度超えの熱。退院時に先生から「また熱が出るようだったら連絡して」と言われていたので電話をすると「すぐに診るからきて」と言われ、母も出かけていたので高熱でフラフラしながら、一応入院の準備をして病院に向かうことになったのでした…

 

【時間外救急 3回目】

病院へ着いたのは19時過ぎ。またまた採血、そして今度は100%余計な菌が入らない状態で採尿したいからと尿道に管を入れられて看護師さんに採尿してもらい、結果、ぶり返しで再入院となってしまいました。
ちなみに、麻酔なしの状態で尿道に管を入れられたのは初めてです。とても細いものではありますが、怖いし微妙に痛い。「怖い! 痛い!!」と言いながら、看護師さんに「もうちょっとです。がんばって!」と言われながら耐えました(*ノノ) たぶん普通の人は普通に我慢できるくらいの処置ですw

 

【入院2回目&退院2回目】

月曜に退院して、木曜の夜に病院に戻るとか…(;゚∇゚) 看護師さんたちに薄ら笑いで「戻りました~」とか言いながらここからまた点滴の日々。先生からは「癖になると怖い病気だから、今回も少し長くなるからね」とお話がありました。そして今回は前回ほど値が悪いわけではありませんでしたが、産婦人科病棟に入院しつつ泌尿器科も受診。退院2日前に泌尿器科の先生から「今回は徹底的に(菌を)叩いているので再発はしないと思う」と言われ、その日のうちに点滴から錠剤の抗生物質に切り替えて様子を見、9日間の入院となりました。

 

【2回目の入院雑感】

今回も2日ほど高熱が続きましたが、3日目くらいから熱は下がり始めました。
そういった意味では1回目の入院時より楽ではありましたが、2回目の入院前の時点ですでに2週間近く抗生剤を点滴と錠剤で取り続けた結果、口の端は切れるは、口の中が荒れるで食事がまともに取れなくなってしまいました。とにかく、何を食べても不思議なほどまずいのです。病院食至ってはにおいだけで気持ち悪くなってしまい、先生、栄養士の先生許可の下、病院食は中止。とりあえず今は食べれるものを食べて、ということになり、入院4日目くらいから私のご飯は三食自分でセブンイレブンで購入となりました。
わがままな話ではありますが、実際に戻しそうになるので仕方ない。ただ、先生から「今は食べられるものを食べなさい」なんて言われてしまうと、普段の不摂生が嘘のようにサラダを食べ、あとはおにぎりとヨーグルトみたいなヘルシーな方向へ向かってしまうのが自分たちょっとおかしかったですw

ちなみに、一回目、二回目の入院中唯一完食したのがこれ

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スパゲティーミートソースw
これはケチャップのおかげか味がわかりやすくて食べられたのです! ケチャップ万歳ヽ(´▽`)/

 

急性腎盂腎炎 私の場合。 3回目(全3回) - 複雑型子宮内膜異形増殖症から子宮体がんへ。私の場合。

急性腎盂腎炎 私の場合。 1回目(全3回) - 複雑型子宮内膜異形増殖症から子宮体がんへ。私の場合。

 

急性腎盂腎炎 私の場合。 1回目(全3回)

2017年9月早々から急性腎盂腎炎に掛かり、最初に10日間の入院。そして退院後3日でぶり返してしまい更に9日間の入院となってしまいました。
そもそもの原因はおそらくではありますが、膀胱炎を市販の薬だけで治し、症状が収まったことで安心してしまったこと。私のような病気と仲良しな人間は、例えばその場しのぎで市販薬を利用したとしても、一度は病院に行かなければならなかった。
というわけで、自戒を込めて日記に。

 

【最初の異変 一定の痛さで続く腹痛】

夜中の3時過ぎ。
左下腹部にズキズキでもシクシクでも刺すようなでもなく、我慢できないことはないけれど眠れない痛みを感じて目が覚めました。痛みに波はなく、横になっても座っても同じ痛さがずっと続いて引きません。心なしか、腰の左側も少し痛い。
下腹部といえば、私は2年数カ月前に子宮と卵巣の摘出手術を受けています。それが何か関係しているのかな?と怖くなり、市内の時間外救急病院を調べるとちょうど手術した病院が当番医。明け方4時頃に電話をして一人、タクシーで病院へ向かったのでした。

 

【時間外救急 1回目】

病院は総合病院ですが、診てくれる先生はその日の当番医によって何科の先生にあたるかわからないようです。そして私が診てもらったのは主治医のK先生ではありませんでしたが、以前入院していた産婦人科の先生でした。
今現在のお腹の状況と腰の痛み、思いつく原因として、3週間ほど前に膀胱炎になり、それを病院へ行かず市販薬で治したことをお話しました。が、先生の診断は尿道結石。子宮体がんの検診で今も定期的に通っているし、以前から小さな石があるとは言われていました。そして先生からどんなに小さい石でも尿道を傷つけることがあり、血尿が出ると聞き、痛み止めをもらって自宅にもどり会社はお休みしました。

 

【自宅にて】

言われたとおりに薬を飲むと、なるほどお昼頃には腹痛も腰痛も治まりました。が、不思議なことに痛みが収まったタイミングで、体が怠くなり、ガタガタ震えるほどの悪寒。熱を計ると39度。不安になってもう一度総合病院へ電話をすると、とりあえず一度近くの掛かりつけの病院へ行ってくださいの一点張り。そういうものなのかもしれませんが、この時点で地元の病院へ行く体力なんてなく一晩様子を見ることにしました。

そして翌日。熱は下がるどころか40度を超え、午前中にヨロヨロしながら掛かりつけの病院へ。そこでもう一度膀胱炎を市販薬で治したこと、明け方言った病院では尿道結石ではないかと言われたとを話しましたが、先生から膀胱炎の可能性は捨てきれないし、高熱が続いたらもう一回大きな病院へ行かないと無理だと言われ、抗生剤を処方されました。が、飲んでも熱は下がらないしますます体が怠い。こんなに具合が悪いのに私はどうしたらいいの?と泣きそうになりながら、断られるのを覚悟で夕方18時過ぎもう一度総合病院へ電話をし熱の状況を伝えると、今度はすぐに来てくださいと。ものすごくホッとしたのでした。

 

【時間外救急 2回目】

今度診てくれたのは外科の先生でした。今回も病院で採血、採尿し結果を待っていると通常であれば限りなく0に近いはずのある値が24。即入院となりました。ぐったりしたままいつものように「血管がでない」という看護師さんの声をぼんやり聴きながら何度も針を刺され、その後CTを取ってもらいそのまま病室へ向かいました。
科は泌尿器科ではなく産婦人科病棟。2年数か月ぶりの病棟はまだ顔を覚えている看護師さんもたくさんいて、ヨロヨロしながらも懐かしくもありました。

 

【入院1回目】

腎盂腎炎の基本的な治療法は抗生剤を点滴で投与しつつ、自分でも意識的に水分を取ってからだから菌を出すことです。
私の予想ではおそらくもう次の日には熱は引くだろう、1泊、せいぜい2泊もしたら帰れるだろうと思っていました。が、子宮体がん以来の主治医であるK先生が病室に顔を出し話してくれたのは全く予想から外れた物でした。「血液にも黴菌が入っちゃってるから、しばらく入院。1週間では帰れないかな」と。膀胱炎だって軽く考えていたわけではないけれど、腎盂腎炎はそれなりに大変な病気だと知り怖いやら、がっかりするやら…。

余談ですが、私、この日、初めてタレントの高田純次さんに感謝することになりました。1週間以上の入院にがっかりしながらTVをつけると、高田さんのお散歩の番組が放送されてたんです。その中でただ坊主頭というだけのお仕事中の男性にむかって「あなた市川海老蔵に似てるね!」と言ったのです(゚m゚*) 思わず「全然似てねーw」と呟いたら、もう考えてもしょうがないか…と一瞬にして立ち直れました。超ありがとう! 純次w

ちなみに腎盂腎炎の高熱はつきもののようで、抗生剤を点滴しても熱が38度まで下がったのは入院して三日後です。そこを境に熱は順調に下がっていきましたが、もう二度となりたくないと思える病気の一つとなりました。また、高熱がある間は、少し熱が下がってもまたすぐに上がるのでまだ9月だというのに湯たんぽのようなものをお借りしたり、吐いてしまったこともありました。

そんなこんなで、ただひたすら点滴生活を送り続けた10日間の入院。点滴だけの治療で子宮と卵巣を摘出した手術と同じだけの入院期間となってしまったのでした。

 

【一回目の入院 雑感】

高熱の続いた3日間は、ほぼまともにご飯が食べられませんでした。
ただ、なぜかジュースが飲みたくて、夜中、まともに眠ることができなかったので、自動販売機でジュースを買って飲んでました。そんな中で感動の味だったのがミニッツメイドのオレンジ! 今後風邪等々で具合が悪くなったら迷わずこれを飲もうと思えるくらいの美味しさでしたw

そして、熱が下がってくると、点滴はつながれたままでしたが、入院6日目に病院内であれば売店等々自由に行ってよい院内フリーになりました。というわけで早速向かったのが、以前入院した時にはなかった院内のセブンイレブンとコーヒーショップです。

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点滴棒にお財布や携帯等を入れた小さなバッグを掛けてちょこちょこ出入りしていました。どちらも入院しながらも日常を感じられる嬉しい存在でしたヽ('ヮ'*)ゝ

 

急性腎盂腎炎 私の場合。 2回目(全3回) - 複雑型子宮内膜異形増殖症から子宮体がんへ。私の場合。

急性腎盂腎炎 私の場合。 3回目(全3回) - 複雑型子宮内膜異形増殖症から子宮体がんへ。私の場合。

 

#37 子宮体がん 手術後の検診 7回目

7月に手術後7回目の検診を受け、結果も聞いてきました。

 

- 2017年7月 - 

【採血の検査】

前回は1月だったので、検査を受けるのは半年ぶりでした。
7月上旬に採血(腫瘍マーカーのチェック)をして、中旬に結果を聞きに行ったのですが、このとき内診の検査もするんだろうなと思っていたら、なんと今回は本当に血液検査のみ! これまで何度も”病気を前に内診台は恥ずかしいとは言っていられない”とい書いてきましたし、今もその気持ちは変わりませんが、やはり嬉しかったですw

  

【結果】

今回も再発は見られず、良好でした(*゚ー゚)
次回の検査は来年の1月。採血とCTになるそうです。

 

- 雑感 -   

手術から2年と2ヵ月。
順調に回復していますが、今回は少しネガティブなお話。

検査の間隔が伸び、順調に回復していくことに喜びを感じる一方で、結果を聞くのが怖くなっています。理由は、手術をしてまだ日がたっていない頃ならば、がんを取ったばかりなのだから再発はまだしない。でも、時間が経ってそろそろがんが…という何の根拠もない不安です。なんというか、精神的自己免疫疾患とでもいいましょうか…(ノ∀`)

こうやって文字にしてみると自分でも笑ってしまうのですが、時々に本気で怖くなるのです。

 

そしてもう一つ、こちらの方が気がかりなこと。
私が怖いと思うのは自分自身のことである分、逃げようがなく、考えても仕方ないと思えるのですが今回の検査結果を聞く前の晩のこと…

私より先に休んでいた母の部屋から、唸り声が聞こえたので心配になって見に行ったら夢を見て寝言を言っていたんです。声を掛けたら、「あぁ、なんか夢を見てた~」等々、半分寝ぼけて返事をした後すぐにスヤスヤと寝ていましたが、やっぱり心配を掛けているのかなと思ったのです。というのも、もう30年以上前の話ですが、私が高校生の頃、膝が痛くて整形外科でレントゲンを撮ってもらったところ「膝の上の骨(大腿骨?)に影があります」と言われたことがあるのです。紹介状を持たされ、すぐに大きな病院へ行きなさいと。

そして、学校を何度か休んで検査を受け、結果を聞きに行った日のこと。診察室で先生から「大丈夫、良性腫瘍でした。この大きさが悪性なら、余命数週間です…」といったお話があり、場所を説明するので私に診察台へ横になるようにと言ったのです。が、先生が母の方を見ているなと思ったら、恐らく心配が限界に達していた母が安心したのか貧血を起こし、「お母さんが横になった方がよさそうですね」と母が診察台に横になったことがあったのです。

これ、今ではうちの笑い話の一つになっているし、今現在のがんの話はオープンに明るく話をしていますが、母も私と同じように良好な結果を喜びつつ、手術から時間がたつにつれ再発のことを考えることがあるのではないかと…。

 

なんてことを考えると、やっぱり私自身が元気でやっていかないと…。
過剰に張り切って頑張るのではなく、自分らしくのんびりマイペースで元気に過ごしていこうと思いますヽ('ヮ'*)ゝ

 

【番外編】日常に振れたかったのかもしれない。病院のコーヒーショップ

先日、半年ぶりに検診で病院に行くと、ロビーの片隅にコーヒーショップが!

 

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入院中も退院後も病院にコーヒーショップがあればいいのにと思っていたので、それはそれは嬉しくて。受付より先にそちらに走ってしまいました(゚m゚*)(採血があったので飲みはしませんでしたが!)

お店の前には椅子とテーブルが10セットほど。入院患者さんの姿は見えませんでしたが、診察後と思われる方、お見舞い帰りと思われる方が談笑されていたり、一人静かに過ごされている方もいました。

 

病院…特に総合病院は特別な場所。皆どんな思いで席に座っていたのかもちろん私には分かりません。 

けれど、ただホッとしていたのだとしても、これから先のことを考えていたのだとしても、落ち着こうとされていたのではないかと想像します。

  

ちなみに私は手術後容体が安定し始めると、コーヒーショップのコーヒーが飲みたいと思うようになっていました。コーヒー自体は飲もうと思えば自動販売機があったので飲めたのですが、そうではなくあの紙やプラスチック製のカップでコーヒーが飲みたかった。

なぜかしら?

………

……

入院という非日常の中で、あのカップを手にすることで日常に振れたい、取り戻したいという思いがあったの…かな。

 

病気によっては、飲みたくても飲めない方がいるかもしれません。
そう考えると心が苦しくなりますが、たくさんの方が利用されるお店になったらいいなと思います。

 

#36 子宮体がん 手術から丸2年。

2015年5月13日は、子宮と卵巣の摘出手術を受けた日。
手術から丸2年が経ちました。

「怖い、怖い」と言いながら硬膜外麻酔(=半身麻酔)を受け、
  ※実際には最初の表面麻酔が普通の注射程度に痛いだけで、
   あとはほとんど痛みは感じませんでした。個人差はあるとは思います。

手術台に横になってアワアワしているうちに全身麻酔が始まり、
ちょっと目をつむってみようかなと意識的に目をつむった瞬間に記憶がなくなって、
ルッカさん、終わりましたよ~」という声で目が覚めたこと、

今でもよく覚えています。 

そして手術後一カ月で復職される方がいる中、私はさらに5カ月間休職。万全を期して社会復帰したつもりでしたが、体力が続かず思うように働けませんでした。
もう私は通勤なんて無理なのかもしれない、これからどうしよう…と悩みましたが、同僚の支えはとても大きく、辛い時期を乗り切ることができました。

 

rukka.hatenablog.com

 

そんなこんなで、今現在。
長時間ではありませんが、残業も続けてできるようになりましたし、気が付けば去年の秋くらいから、病気のことを忘れる、がんのことを考えない日が増えてきました。
もちろん検診の日まで忘れるなんてことはありませんし、逆に今は病気のことを忘れてはいけないと自分に言い聞かせてもいます。読んでくださった方の気持ちを重くするようなことは書きたくないのですが、そんな風に自分に言い聞かせるのは、万が一再発した時のショックを和らげるため。自分の心の保険です。

あ、「保険」という言葉を書いて思い出しましたが、保険は病気にならなければ確かに無駄なお金ではありますが、病気になった時には入っておいて良かったなと心底思いました。

さて、もう少し手術から2年経った自分のことを書きますと、今もがんとは別に貧血(鉄欠乏性貧血)の通院が続いています。ヘモグロビンの値はもう正常なのですが、先生曰く「ヘモグロビンの貯金がもっと欲しい」とのこと。正直、もう行くの止めちゃおうかな、なんて不届きなことも考えてしまうけれど、通院と言っても3カ月に一度のこと。何より貧血を診てくれているW先生が産婦人科に行きたがらない私に怒って「産婦人科に行かないなら、僕もこれ以上診ることはできない」と言ってくれなかったら…。私のがんはもっと進行した状態で見つかり、今この瞬間に日記なんて書いていられなかったかもしれない。そう考えると、W先生から「もう来なくていいよ」と言われるまで通院して治したいなと思うのです。
…なんて、何を当たり前のことをもっともらしく書いてるんだ!って感じですけれども(゚m゚*)

 

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入院中一番嬉しかった食事の写真があったのでアップ!w

 

それにしても貧血が良くなると、本当に体が楽になります。
先月、会社の写真部主催のオープンイベントに同僚と参加し、港の見える丘公園へ行ってきました。写真の撮り方を教えてもらいながらだったので、そもそもがゆっくり歩いたり、立ち止まったりののんびりペースではあったのですが、そうそう遅れることなく皆さんと同じ行動を取ることができました。これは、30mほど歩いては立ち止まり休憩していた2年前の私には考えられないこと!!

 

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ちゃっかり、自分で取った写真を掲載 ミラーレス一眼を買いましたw

 

手術をして子宮と卵巣を摘出したことで乾燥肌になってしまったり、また手術中に膀胱に傷が付いて以降、夜中に必ずトイレに目が覚めるようになり、正直、慣れたというよりもう諦めたという気持ちではありますが、今の現状を思えばどれも小さいこと!
あと3年、検診を必ず続けて楽しく生活したいと思います(*゚д゚*)